長年にわたって廃盤となっていたレインボー、そしてリッチー・ブラックモアの最後のライヴ・パフォーマンスがついにリマスターされて登場した。
以前はVHSで発売されていたものだが、発売元が倒産(?)したのか、長い間再発売が待たれていた作品だ。
近年は新生レインボーとしてハード・ロックのライヴも再開したリッチー・ブラックモアであるが、やはり年齢からくる衰えは隠しようもない。
この「ライヴ・イン・ジャパン1984」ではレインボーとリッチー・ブラックモアの最後の輝きを堪能することができる。
今回は、レインボー最後のリッチーが見られる「ライヴ・イン・ジャパン1984」の感想を綴ってみたいと思う。
レインボーのライヴ・イン・ジャパン1984
レインボー「ライヴ・イン・ジャパン1984」の収録曲は、ジョー・リン・ターナー時代の3枚のスタジオ・アルバム(「アイ・サレンダー(Difficult To Cure)」、「闇からの一撃(Straight Between The Eyes)」、「ストリート・オブ・ドリームス(Bent Out Of Shape)」)からのベスト選曲といっていいだろう。
他には、グラハム・ボネット時代のアルバム「ダウン・トゥ・アース(Down To Earth)」から「オール・ナイト・ロング」と「シンス・ユー・ビーン・ゴーン」の2曲、そしてディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」が収録されている。
レインボーのライヴ・イン・ジャパン1984の収録曲とメンバーは、以下の通り。
「ライヴ・イン・ジャパン1984」 レインボー
収録曲
1. イントロ:トッカータとフーガニ短調~虹の彼方に
2. スポットライト・キッド
3. ミス・ミストゥリーテッド
4. アイ・サレンダー
5. キャント・ハプン・ヒア
6. 虹をつかもう
7. パワー
8. キーボード・ソロ
9. ストリート・オブ・ドリームス
10. フール・フォー・ザ・ナイト
11. 治療不可(ベートーヴェン交響曲第9番)
12. ギター・ソロ
13. ドラム・ソロ
14. ブルース
15. ストランデッド~ヘイ・ジョー~ストランデッド
16. デス・アレイ・ドライヴァー
17. ファイアー・ダンス
18. メイビー・ネクスト・タイム
19. オール・ナイト・ロング~ウーマン・フロム・トーキョー~オール・ナイト・ロング
20. レイジー
21. シンス・ユー・ビーン・ゴーン
22. スモーク・オン・ザ・ウォーター
メンバー
リッチー・ブラックモア:ギター
ジョー・リン・ターナー:ヴォーカル
ロジャー・グローヴァー:ベース
デイヴ・ローゼンサル:キーボード
チャック・バーギ:ドラムス
レインボーのライヴ・イン・ジャパン1984の感想
レインボーの「ライヴ・イン・ジャパン1984」は、収録曲からみると後期レインボーのベスト・ライヴ・アルバムといえる。
初期のロニー・ジェームズ・ディオ時代からは、「虹をつかもう」のみでオールド・ファンには寂しい限りである。
また、メンバーはリッチー・ブラックモアとロジャー・グローヴァーがイギリス人である以外は、すべてアメリカ人となっている。
ブリティッシュ・ハードロック・バンドからアメリカン・ハードポップ・バンドに変貌を遂げたレインボーも、ここにきて完成形となったかという気がする。
そして、もうひとつこの最後のライヴにはスペシャルなものが用意されていた。
「ライヴ・イン・ジャパン1984」の「治療不可(ベートーヴェン交響曲第9番)」で、レインボーはオーケストラとの共演を果たしている。
リッチー・ブラックモアがクラシック好きなのはだれもが知るところではあるが、オーケストラとの共演となると久しぶりで、第2期ディープ・パープル時代の1969年9月ロイヤル・アルバート・ホールでのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と共演以来となる。
実に25年ぶりの共演である。
オーケストラを使うには莫大なコストがかかるが、当時これをライヴの撮影を条件に撮影側の会社が負担することで実現した共演であった。
映像を見るとこの日一番の力の入ったリッチー・ブラックモアを確認することができる。
長年アレンジを変えて仕上げ、演奏し続けてきたてきた「治療不可(ベートーヴェン交響曲第9番)」をオーケストラと共演できたのは、リッチー・ブラックモアにとっては感無量であったに違いない。
なお、この素晴らしいオーケストラ・アレンジは、キーワードのデイヴ・ローゼンサルが担当したことも忘れてはならない。
残念ながら、ギターソロのエンディングのタイミングをミスしているが、このレインボー「ライヴ・イン・ジャパン1984」の最大の見どころ・聞きどころは、オーケストラと共演した「治療不可(ベートーヴェン交響曲第9番)」といっていいだろう。
レインボー最後のリッチー・ブラックモア
このライヴが行われた1984年は、レインボーのメンバーとリッチー・ブラックモアにとっては非常に微妙な時期で、水面下ではすでにディープ・パープルの再結成が決まっていた。
そのためリッチー・ブラックモアとロジャー・グローヴァー以外のメンバーは、これがレインボーとしての最後のライヴになるとは夢にも思わなかったことだろう。
3月だというのに雪が散らついていたこの日、最後の地となったのは第2期ディープ・パープルの最後と同じ日本であった。
別に狙って日本を最後の地としたわけではあるまいが、何か因縁のようなものも感じてしまう。
そして、リッチー・ブラックモアがレインボーで武道館でライヴを行ったのも現時点ではこの日が最後になってしまった。
何から何まで、この「ライヴ・イン・ジャパン1984」は、最後の花道尽くしだったといえるのだ。
レインボー「ライヴ・イン・ジャパン1984」の感想~まとめ
今回は、レインボー最後のリッチーが見られる「ライヴ・イン・ジャパン1984」の感想を綴ってみた。
「ライヴ・イン・ジャパン1984」はレインボー最後のリッチーが見られるということで非常に貴重なライヴ・アルバムであるが、そこには長年にわたって変貌を遂げてきたレインボーのひとつの完成形を見ることができる。
長年のフェイヴァリットナンバーである「治療不可(ベートーヴェン交響曲第9番)」をオーケストラとの共演がこの「ライヴ・イン・ジャパン1984」の最大の見どころ・聞きどころであり、レインボーの最後の花道を飾っている。
ハード・ロックに復帰したもののいつ来日するかもわからないリッチー・ブラックモアのロックに本気だった姿が見ることができる。
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