年末になるとベートーヴェンの交響曲第九番「合唱付き」が日本各地で演奏されるのは、日本ならではの慣例となっています。
欧米でも年末だからといって第九を演奏するという習慣はあまりないのに、なぜ日本で根付いたのかが大いに気になるところです。
第九を年末に歌う理由を探り、演奏されるようになった起源も遡ってみると日本では驚くような逸話もありました。
今回は、第九を年末に歌う理由と起源や日本で初めて演奏された場所などについて見ていきたいと思う。
第九を年末に歌う理由
日本で第九を年末に歌う理由は、主に2つあると考えられます。
ひとつ目の理由はオーケストラの懐事情です。
第二次世界大戦後は音楽界に限らず、あらゆる業種で貧しい時代だったのはだれもが知るところです。
そんな時代に日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が、12月に第九を演奏するコンサートを行ったところ大変好評を博し興行的にも大きな収益を得ることができました。
ご存知のように第九は「合唱付き」でオーケストラとは別に合唱団も参加しますので、合唱団にとってもいい臨時収入になりました。
もうひとつの理由が、第九が日本人の感性と合致したことででしょう。
第九の、特に第4楽章の「歓喜の歌」における希望に満ちた崇高な曲調が、混迷していた時代の人々の心に響いたことが考えられます。
第九を年末に歌う起源
日本で第九を年末に歌う理由はわかりました。
では、第九を年末に歌うようになった起源はどうでしょうか?
第九を年末に歌う起源~海外(ドイツ)
日本では第九を年末に歌う慣例がありますが、海外はどうかというと日本ほどではないようです。
しかし、ドイツでは第一次世界大戦後の1918年の年末に平和を願って労働者に向けて第九を演奏して以来、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が毎年の大晦日に第九を演奏するようになりました。
また、お隣のオーストリアではウィーン交響楽団が12月30日と31日に第九を演奏しています。
海外では第九よりも「蛍の光」が演奏されることが多く、第九はどちらかというと年末よりも祝典や特別な行事の際に演奏されることが多いようです。
第九を年末に歌う起源~日本
一方、日本での起源は以下の2つの説があります。
・上述したNHK交響楽団が第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)に12月に3日連続の第九のコンサートを開いたのを起源とする説
・1943年12月に上野奏楽堂で学徒出陣のために卒業を12月に繰り上げた学生たちに向けた壮行会で第4楽章の「歓喜の歌」が演奏されたのを起源とする説
日本で初めて演奏された場所
第九が初演されたのは1824年5月7日のウィーンで、初演当時ベートーヴェンは54歳でした。
そして、日本で初めて第九が演奏されたのは1918年(大正7年)6月1日、徳島県鳴門市(当時は板東町)で場所は板東俘虜(ふりょ)収容所でした。
板東俘虜収容所はドイツ兵捕虜収容所で、一般の入場者はなく聴衆は捕虜兵と収容所の従業員のみだったようです。
演奏したのは第1次世界大戦で日本軍の捕虜となっていたドイツ兵たちで、不完全ながら全曲が演奏されたようです。
第九全曲の完全な初演が行われたのはそれから6年後の1924年11月29日上野の奏楽堂で、演奏したのは東京音楽学校(現東京藝術大学)の教授や生徒たちで、第九がウィーンで初演されてからちょうど100年後のことでした。
第九が年末に演奏されるのが慣例となる20年ほど前ということになります。
第九を年末に歌う理由と起源~まとめ
今回は、第九を年末に歌う理由と起源や日本で初めて演奏された場所などについて見てきた。
第九を年末に歌う理由は、オーケストラの懐事情と第九が日本人の感性と合致したことの2点があげられます。
起源は、海外においては、ドイツでは1918年の年末にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が毎年の大晦日に第九を演奏し、オーストリアではウィーン交響楽団が12月30日と31日に第九を演奏しています。
日本での起源は、1947年(昭和22年)にNHK交響楽団が12月に3日連続の第九のコンサートを開いたという説と1943年12月に上野奏楽堂で学徒出陣のために「歓喜の歌」が演奏されたとする2つの説があります。
日本で初めて演奏されたのは1918年(大正7年)6月1日、徳島県鳴門市(当時は板東町)で場所は板東俘虜(ふりょ)収容所でした。
第九は戦後の混乱期に希望を与える楽曲として人々の心に大きく響いたというのがよく伝わってきます。
日本における年末に第九を演奏する慣習というのは、音楽の持つ力を非常によく表しているといえるでしょう。
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