リッチー・ブラックモア率いるレインボーの来日公演に関しては、すべての来日公演のセトリと日程・会場・メンバーを記事にしてきた。
レインボーのアルバムのは同じメンバーでレコーディングされることは1度もなかったが、来日公演のメンバーも毎回違うラインナップだった。
今回は、一度すべての来日公演を整理してみようと思い、レインボーの来日公演のセトリと日程・会場・メンバーの記事を一覧でまとめてみた。
レインボーの来日公演のセトリと日程・会場・メンバーの記事一覧
レインボーはこれまで、再結成を含めると4人のシンガーで7回の来日公演を行っている。
それぞれのシンガーの来日回数と来日した年は、以下の通り。
ロニー・ジェームズ・ディオ:2回(1976・1978年)
グラハム・ボネット:1回(1980年)
ジョー・リン・ターナー:3回(1981・1982・1984年)
ドゥギー・ホワイト:1回(1995年)※再結成
ほとんどアルバムをリリースする度に来日公演を行っており、日本がレインボーにとっていかに重要な場所だったのかがよくわかるというものだ。
2016年、ロニー・ロメロをシンガーに起用する新ラインナップで実に19年ぶりにライブ活動を再開したが、残念ながら来日公演を開催するには至っていない。
レインボーの来日公演のセトリと日程・会場・メンバー~1976年
レインボー”Rising”Tour1976
レインボーの来日公演のセトリと日程・会場・メンバー~1978年
レインボー“Long Live Rock’N’Roll”Tour1978
レインボーの来日公演のセトリと日程・会場・メンバー~1980年
レインボー”Down To Earth”Tour1980
レインボーの来日公演のセトリと日程・会場・メンバー~1981年
レインボー“DIFFICULT TO CURE” Tour1981
レインボーの来日公演のセトリと日程・会場・メンバー~1982年
レインボー“STRAIGHT BETWEEN THE EYES”Tour1982
レインボーの来日公演のセトリと日程・会場・メンバー~1984年
レインボー”Bent Out Of Shape”Tour1984
レインボーの来日公演のセトリと日程・会場・メンバー~1995年
レインボー”Stranger In Us All”Tour1995
レインボーの来日公演(1976~1984年)の本
レインボーの1976年から1984年までの6回の来日のセットリストや来日時の未発表の写真など膨大な資料が掲載されている。
これを読めばレインボーの1976年から1984年までの6回の来日公演のすべてが分かるといってもいいほどの充実した内容になっている。
レインボー・ライヴ・ツアー・イン・ジャパン1976-1984
レインボーの来日公演のセトリと日程・会場・メンバー~まとめ
今回は、レインボーの来日公演のセトリと日程・会場・メンバーの記事を一覧でまとめてみた。
レインボーはこれまで、再結成を含めると4人のシンガーで7回の来日公演を行っているが、5人目のロニー・ロメロではまだ来日公演を行っていない。
ロニー・ロメロが歌うレインボーを来日公演で、生でぜひ聞いてみたい。
コメント
レインボーにおいてボーカルの位置は私的見解によればあまり高くはないというのが本音であります。レインボーはあくまでリッチーサウンドの見本市であります。つまりギターより見映えが良いものは必要とされなかったとも言えるでしょう。レインボーファンならばギターフレーズを支えるリズムセクションとおまけの歌と言えるのでは。歴代のボーカルはロニーの節回しグラハムのシャウトポピュラー歌手を彷彿させるジョー最後は誰だか分からない人。(ゴメン)黄金期のリッチーコージーロニー後々考えればそれがレインボーそのものであったと思います。ロングリブロックンロール、バビロンの城門はもはや完成形です。グラハムが出てきた時人々は誤解をしていた。レインボーは進化したと。実はそうではなかった。リッチーはグラハムにブルースを歌わせようとしたが彼は拒否した。グラハムはステージでは歌手になりたかったのだ。あくまでもグラハムの役割はギターに乗せてブルースを歌うことだったのだが。そしてグラハムはついにリッチーにステージ上でloves no friend,と言ってしまった。その後、ハリウッドで迷い子になったのはリッチーではなくグラハムだったのにだ。リッチーはグラハムのことを奴はいい奴だという言葉を送って別れた。でもシンガーではないと。
もうその頃になるとリッチーのシンガー捜しは終わっていたと思う。81年にもなるとかってのレインボーは跡形もなくなりそこにあったのは見映えの良いエンターテイナーであった。difficult to cure.リッチーは素直にその曲を書いた。修復不可能とも言える。ジヨーは確かに頑張ったと思う。でもリッチーはそれにたいして評価していたかは分からない。以前も書いたのだがストレート
ビトウィーン アイズまでがハードロックのレインボーだと私は認識している。ジヨーもブルースは歌わなかったというよりもグラハムと同じで歌えなかった。ロニーやカヴァーデルのようなシンガーをリッチーは求めていたはずなのになぜか巡り会えなかった。そして時は流れ今虹は大空へと消えて行った。