音楽映画では異例のヒットとなった映画「ボヘミアン・ラプソディ」であるが、映画の中だけではなかなかどういう曲なのか理解できなかった人も多いのではないだろうか?
ボヘミアン・ラプソディのタイトル自体も映画とどうつながっているのかもよくわからないし、歌詞の意味もチンプンカンプンである。
しかし、タイトルと歌詞にはフレディ・マーキュリーの深い想いが込められていた。
今回は、ボヘミアン・ラプソディのタイトルの意味、歌詞に込められた想いなどを見ていきたいと思う。
ボヘミアン・ラプソディのタイトルの意味は?
「ボヘミアン・ラプソディ」のタイトルの意味は、そのまま日本語にするなら「ボヘミアの狂詩曲」ということになる。
まず「ボヘミアン」の意味であるが、中央ヨーロッパのボヘミア地方のことで、ボヘミアで暮らしていた人たちというのは自由にあちこちを渡り歩く放浪の民のような、いわばジプシーのような民族が多かった。
フレディ・マーキュリーの生い立ちを振り返ってみると生まれはアフリカ・タンザニアのザンジバルで、8歳の時にインドのムンバイに移住、その後ハイスクールの頃にイギリスに渡っている。
つまり、自分自身の生い立ちとボヘミアのジプシーを重ね合わせたのではないかと思われる。
また、「ラプソディ(狂詩曲)」も別に狂っているという意味ではなく、形式にとらわれない自由な音楽を意味する。
このように「ボヘミアン」と「ラプソディ(狂詩曲)」の両方にフレディ・マーキュリー自身の生い立ちや自由を求める精神が反映された結果、「ボヘミアン・ラプソディ」というタイトルができあがったと推察する。
ボヘミアン・ラプソディはどんな曲?
「ボヘミアン・ラプソディ」は、クイーンの1975年発表の名盤「オペラ座の夜(A Night At The Opera)」に収録されている曲で、作曲と歌詞はともにフレディ・マーキュリー。
イントロはアカペラで始まり、そこからバラード→オペラ・パート→ハード・ロック・パート、そして最後にまたバラードに戻るという構成は前代未聞の壮大さと難解さを併せ持っていた。
6分を超える大作にもかかわらず、1975年10月シングル・カットされイギリスで9週連続1位を記録した。
その後フレディ・マーキュリーの死後1991年12月に再度シングルとしてリリースされ、ここでも5週連続で1位を記録したというモンスター級の名曲である。
筆者も学生時代から聞いてきたが、初めて聞いた時には非常に奇妙な印象を受けた。
しかし同時に理屈抜きに凄いと感じた曲でもあり、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」を聞いた時と同じような衝撃を覚えた。
ハード・ロック、バラード、コーラスとクイーンの真髄が凝縮された曲だと思う。
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ボヘミアン・ラプソディの歌詞に込められた想い
「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞に込められた想いも複雑だ。
最初のバラード部分は、「人を殺してしまった」という衝撃的な歌詞から始まるのだが、オペラ・パートに入ると曲調も歌詞も一変する。
「スカラムーシュ」「ファンダンゴ」「ガリレオ」といった意味不明の単語が飛び出してくる。
「スカラムーシュ」は、イタリア喜劇で道化役の名前、「ファンダンゴ」はジプシーの踊りでフラメンコにも出てくる。
「ガリレオ」は、イタリア人の名前ということはわかるが、直後に「フィガロ」という言葉も出てくることからモーツァルトの「フィガロの結婚」と何か関係があるのか?
また、ハード・ロック・パートにおける「ビスメラ」はイスラム教で「神に誓って」を意味する言葉である。
ひとつひとつの単語の意味はどうであれ全体の意味はやはり難解で、フレディ・マーキュリー自身も夢想癖にようなものがあったというから、その想いが各パート毎に込められているような気がするのだが、どうだろうか。
ボヘミアン・ラプソディの歌詞の意味は聞く人次第
クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」を、フレディ・マーキュリーが同性愛者であることをカミングアウトした曲だと解釈する説も有力であると思うが、歌詞の本当の意味は結局わからない。
クイーンのメンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーも歌詞の本当の意味はわからないそうだから、聞く人のそれぞれの解釈に委ねるということになる。
フレディ・マーキュリーがすでに亡くなった今、真相は永遠にわからないままということになるが、存命だったとしても語るとは思えない。
その理由は、フレディ・マーキュリーがいろいろな解釈ができるのを楽しんでいたそうだし、母親に聞かれても「自分にもわからない」と答えていたらしいからだ。
よって、「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞の意味は聞く人によって変わり、自由に解釈してもいいのではないだろうか。
ボヘミアン・ラプソディのタイトルの意味~まとめ
今回は、ボヘミアン・ラプソディのタイトルの意味、歌詞に込められた想いなどを見てきた。
まとめると、「ボヘミアン・ラプソディ」のタイトルの意味は、「ボヘミアン」と「ラプソディ(狂詩曲)」の両方にフレディ・マーキュリー自身の生い立ちや自由を求める精神が反映された結果で、歌詞の意味は聞く人によって変わり、自由に解釈してもいいのではないかと思われる。
「ボヘミアン・ラプソディー」は、ハード・ロック、バラード、コーラスとクイーンの真髄が凝縮された名曲であり、その難解さが「ボヘミアン・ラプソディー」の魅力をさらに高めているような気もする。
「ボヘミアン・ラプソディー」という映画で、再びこの曲にスポットが当たったことをうれしく思うし、クイーンとフレディ・マーキュリーが残した音楽がさらに聞かれることになれば、と思う。
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